【試写会】372分で物語る壮大かつ長大なロマン『水俣曼荼羅』は原一男監督のタブーとの闘い

上映終了後あいさつする原一男監督

 

作品:水俣曼荼羅(みなまたまんだら)
監督:原一男
10月16日@日本記者クラブ
11月27日より渋谷シアター・イメージフォーラムなど全国ロードショー

 

■372分で物語る20年の水俣曼荼羅

 

どうやら「水俣(みなまた)」はドキュメンタリー映像作家に多大の興味と関心を呼んだものらしい。1956年(昭和31年)、熊本県水俣市で確認された世界的な公害病の原点とも呼ばれる「水俣病」。

手足の感覚が侵される”感覚障害”だけだった水俣病がチッソ水俣工場から排出されたメチル水銀化合物によって汚染された海産物を食べた周辺住民の暮らしを破壊していく過程を、372分(6時間12分)という商業映画では考えられなかった時間を投入して丁寧に追ったドキュメンタリー映画だ。

原監督は上映後にあいさつし、「372分というのは物理的には長いです。完成したらいろいろ言われるだろうなと覚悟を決めてこの長さにした。確信犯です」と語った。そして5分ということで話を始めた。

 

話出したら止まらない!

 

■私の役割は「中継ぎピッチャー」

 

「ただまあ水俣病に対してまっとうに権力を持っている人たちや行政の人たちの本当にやる気のない時間が100年続いている。その状況を描こうとすれば6時間12分なんてどおってことないじゃんと考えた。そういう気持ちがありました」

「6時間を越える長い作品なので作り手としては描きたいことが全部やれたんですかと言われると実は困るんです。6時間を使っていろいろ描いたけれど、描けなかった部分もものすごくたくさんあると思うんですね」

「それぞれのシーンについて、このシーンは本当はこういうことがあるんだけど、自分が思っているほどには描けていないんじゃないかという悔しいシーンが実はいくつもあります。じゃあ何でできなかったのか。頑張ればいいのに言われるとなかなか難しいんですけど」

実はそういうシーンは「ほとんどタブーといわれるところに触れてくるんです」

「水俣って学者並みにタブーを押し切って行けばいいのかというと、そうではないところがあるんですよね。一番タブーに対して立ち向かおうとしたときに、こっちが一番腰砕けになっちゃうのは水俣に出入りさせなくするぞという人が実はいるんです。運動している側に。やくざみたいにたんか切られて、驚いたことがあります」

「タブーがいっぱいあるというのが実感です」

「タブーって言ったときに水俣固有のタブーもたくさんある。だけど水俣固有ということではなくて辺境の地、地方に固有のタブーも実はあるんです。その両者のタブーが入り込んで非常に複雑な様相を持っていると思うんですね」

「ドキュメンタリーの先輩である土本典昭(1928-2008)さんが水俣病の連作ということでかなりの数の映画をつくっている。土本さんが先発ピッチャーして映画人生の大半を費やして作品を残した。その跡を受けて私がつくることになった。私の役割というのは中継ぎピッチャーだというふうに思っている」

「中継ぎなのでどういう問題があるかということを整理することだけはやっておこう。整理整頓。後はクローザーに託することになります。今の私の心境としてはクローザーにこれを託するというふうに思っている」

「クローザーと言ってもどの世代のどういう作り手が名乗りを挙げてくれるのか分かりません。しかし必ずやクローザーが出てきてくれるとは思っている」

 

はじまりの海、おわらない世界

 

■終わりの見えない闘争闘争

 

『ゆきゆきて、神軍』の監督・原一男が最新作で挑んだのは”水俣”だった。日本4大公害病の1つとして知られる水俣病。その補償をめぐっていまだ裁判の続く中、ついに国の患者認定の医学的根拠は覆されたものの、根本的解決にはほど遠い。原はその現実に20年間、まなざしを注いできた。

3部構成、上映時間372分。「原一男監督の最高傑作にして、ドキュメンタリーの凄みと興奮に満ち満ちた新境地」(プレス資料)。これは、さながら密教の曼荼羅のように、水俣で生きる人々の人生と物語を顕した壮大な叙事詩である。

第1部 病像論を糺す

川上裁判によって初めて、国が患者認定制度の基準としてきた「末梢神経説」が否定され、「脳の中枢神経説」が新たに採用された。しかし、それを実証した熊大医学部・浴野成生(えきの・しげお)教授は孤立無援の立場に追いやられ、国も県も判決を無視、依然として患者切り捨ての方針は変わらなかった。

第2部 時の堆積

小児性水俣病患者・生駒さん夫婦の差別を乗り越えて歩んできた道程、胎児性水俣病患者さんとその家族の長年にわたる葛藤、90歳になってもなお権力との新たな裁判闘争に賭ける川上さんの、最後の闘いの顛末。

第3部 悶え神

胎児性水俣病患者・坂本しのぶさんの人恋しさと叶わぬ切なさを伝えるセンチメンタル・ジャーニー、患者運動の最前線に立ちながらも生活者としての保身に揺れる生駒さん、長年の闘いの末に最高裁勝利を勝ち取った溝口さんの信じる庶民の力、そして水俣にとって許すとは?

翻る旗に刻まれた怨の行方は?水俣の魂の再生を希求する石牟礼道子さんの”悶え神”とは?

 

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