【饅頭】備前名物「大手まんぢゅう」に触発されて調べてみると、まんじゅうにも幾多の歴史あり

意外と小さなまんじゅうが大きく映ってしまった「大手まんぢゅう」

 

■「大手まんぢゅう」は備前名物

 

2人暮らしの高齢者の知人が法事でいただいた箱入りまんじゅうは40個入り。とても2人で全部食べきれないので処分を兼ねて友人たちに振る舞われた。それをどういうわけか家人が2個もらってきた。

いただいたのは1837年誕生の備前(岡山県)名物「大手まんぢゅう」。あんこがぎっしり詰まったまんじゅうで、口の中に入れるとなめらかな品のある味わいがぷわっと広がる。

作っているのは大手饅頭伊部屋(おおてまんじゅういんべや、岡山市)。当時の備前藩主の寵愛を受け、お茶会の席では必ず供された。お店が岡山城大手門の付近にあったことから「大手まんぢゅう」と命名されたらしい。

どちらかというと、そんなに高価ではない化粧箱に入っている。1個だけでは物足りないくらいだ。最低でも2個は食べないと食べた気にならない。

持病に糖尿病を持っている。嬉しさ半分、悲しさ半分の気持ちでいただくことにした。なぜだか知らないが、福島県の「柏屋薄皮饅頭」と東京都の「志ほせ(しおせ)饅頭」を合わせて、「日本3大まんじゅう」と呼ばれているという。

1993年発行の『日本三大ブック』(講談社)には3つが日本三大まんじゅうとして挙げられており、2016年からは「日本三大まんじゅうサミット」なるイベントが開催されているとか。

 

■土産にもらった柏屋薄皮饅頭

 

柏屋薄皮饅頭についてはかなり昔から食べている。やはり家人の親の実家が福島だったからだ。東京・昭島市の家には福島からびっくりするほど人がやってきた。東京に来ると、親の家が拠点になったらしい。母親が4人姉妹の長女だったことが大きいのだろう。

そのときに手土産に持ってくるのが「かんのや」(福島県郡山市)の家伝ゆべしと柏屋の薄皮饅頭のどちらかだった。どちらも福島県を代表する銘菓で、よくお裾分けにもらったものだ。

まんじゅうが日本に渡来したのは平安時代。現在のように餡の入ったものは1341年、餡そのものは宋の林浄因命(りんじょういんのみこと)が日本に伝えたといわれる。

嘉永5年(1852年)、柏屋の初代・本名善兵衛が奥州街道郡山宿の薄皮茶屋で餡がたっぷりで皮の薄い饅頭を考案したのが始まりといわれる。

福島日帰りドライブ(2013年9月21日)=東日本大震災から2年半たって福島県いわき市までドライブしたが、いわき湯本ICで高速を下りたら目の前に柏屋があった。早速薄皮饅頭の洗練を浴びたわけだ。

 

織部饅頭

 

■織部饅頭、大みか饅頭、恐竜饅頭、上用饅頭と数々あれど・・・

 

日本にはうまいものが非常に多い。その中でもまんじゅうは格別だ。秋色庵大坂家の「織部饅頭」は焼き物の織部のデザインを饅頭に用いたもので、緑のうわぐすりの垂れを抹茶で表現していて名物になっている。我ながら甘い物が好きでまんじゅうはよく食べている。

出張土産にもらったのが「大みか饅頭」。有限会社運平堂(茨城県日立市大みか町)の生菓子。薄甘の餡も悪くはないが、饅頭の皮が実にうまかった。これについては短い記事を書いているが、もう少し掘り下げたものを書くべきだったと思っている。

私の実家のある兵庫県丹波市と丹波篠山市にまたがる白亜紀前期の地層「篠山層群」(約1億2000万~1億4000万年前)から大型の草食恐竜の竜脚類のティタノサウルス類とみられる化石が見つかったのは2006年。

現地は恐竜うどんや恐竜せんべいが登場し、恐竜饅頭もおみみえした。丹波盆地を歩く恐竜をイメージし、上品な栗ようかんと浮島を流し合わせた饅頭が誕生。それを一口で食ったことも思いだした。

東京・練馬区の西武新宿線富士見台駅に向かう商店街に和菓子屋「深川伊勢屋富士見台店」がある。本店は下町の深川で、醤油だんご、みたらしだんご、ずんだだんごなどのだんご類もうまいのだが、ここで売っている「上用饅頭(じょうようまんじゅう)」が予想外においしいのだ。

すり下ろした大和芋や山芋と米粉の皮が特徴的で、餡を包み蒸し上げた姿は上品このうえない。皮が薄く、皮は芋と米粉で作られている。「上用まんじゅうが美味しい店は何を食べても美味しい」という。

 

■最近出会った「山田屋まんじゅう」

 

山田屋まんじゅう

 

最近、また家人がおいしいまんじゅうを見つけた。皮があるようなないような薄皮の一口サイズで、皮の色と餡子が同じ色合いになっている。

コラムニストで童話作家の天野祐吉氏が「ぜいたくな時間に出会う」との題で昔友人に連れられて訪れたときのことを書いている。

「そのまんじゅうは、ひとくちで食べてしまえるような小さな形(なり)をしていたが、その小さな形のなかには、家並みと同じようにたっぷり時間がつまっていて、口に入れてそっと噛むと、その時間が口のなかいっぱいに、ゆったり広がっていく」

株式会社山田屋は慶応3年(1867)、愛媛県西予市宇和町卯之町に創業。現在本社は愛媛県松山市正岡に置いている。同県内に直営店を5店舗置いているほか、東京にも恵比寿店がある。

ほかに全国各地に170の販売店も持っている有名店のようである。

天野氏は「時間がたっぷりつまっているというのは、そんな歴史の長さだけではない。薄い皮につつまれた漉し餡のちょっと例を見ない洗練と品位のなかに、このまんじゅうを黙々とつくりつづけてきた人たちの時間が、ぎっしりつまっている感じがした」ともうひとつ山田屋まんじゅうをたべたくなるような感想を語っている。

まんじゅうはいろいろ語りたくなるようなものを持っている。書いているいるうちに口の中が甘くなってきた。また食べてみたい感覚がまんじゅうなのかもしれない。

 

■日本で初めて饅頭を作った塩瀬総本家

 

塩瀬総本家の「志ほせ饅頭」はどういうわけかまだ食べたことがない。かつては織田信長や豊臣秀吉、徳川家康にも贈られた逸品で、日本を代表する饅頭と言ってよい。

創業660余年。始祖は林浄因(りんじょういん)氏。日本で初めて饅頭を作った元祖といわれ、伝統に裏打ちされた味を職人が技と心で伝えているという。

毎朝生の大和芋をすり下ろしてから作る饅頭は普通の饅頭より粘りが出るのが特徴。もちっとした皮と、甘さを抑えた餡の絶妙な味わいが光っている上用饅頭。

饅頭の餡は北海道音更町の小豆「エリモショウズ」を使っている。全国の小豆生産の80%を占める主産地で、品質にも定評がある。冷凍小豆や加工餡も広く流通している中で、塩瀬総本家はあくまで音更町の小豆にこだわっているという。

合資会社塩瀬総本家(本社:東京都中央区明石町)。創業貞和5年(1349年)。上用饅頭の極致と言える「志ほせ饅頭」を是非食べてみたいものだ。

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