【散歩】友人に誘われてぶらり鎌倉のんびり歩き=第1回「天狗忌」に参加し修復なった「茶亭」で鞍馬天狗の世界に浸った1日
■50回目の命日に「天狗忌」を開催
戦後をはさんで大衆時代小説「鞍馬天狗」などで人気を博した大佛次郎(1897~1973)の没後50年を記念する第1回「天狗忌」が4月30日、鎌倉・寿福寺の墓前で行われた。主催は大佛次郎研究会(会長=手塚甫・元北里大学教授)。
当日は前夜からの雨が残る不安定な空模様だったが、午後1時の開式時刻にはどんよりとはしていたものの、雨も上がってむしろ新緑が生えた。横浜在住の知人から声を掛けられ参加した。
大佛次郎と言えば、ノンフィクション作品「パリ燃ゆ」や歴史小説「赤穂浪士」、現代小説「帰郷」など幅広い作品を生み出している人気作家。なかでも1924~1965年の40余年にわたって47作品も生み出した鞍馬天狗は親しみやすさもあって一番有名だ。
大佛次郎研究会は「天狗人気」にあやかって、さらには没後50年を乗り越えてさらに長く大佛作品を読み継いでもらおうとの願いも込めて、大佛文学愛好者らが参加できる「天狗忌」を制定した。昨年は「プレ天狗忌」を開いている。
■寿福寺には正子や実朝のお墓も
寿福寺(鎌倉市扇ガ谷)は源頼朝の妻・北条政子が頼朝の死後、明庵栄西を招いて1200年(正治2年)創建した寺で、13世紀になって禅宗の寺院となった。
開基(寺院を開いた人)は北条政子、開山(初代の住職となった人)は栄西といわれる。中国の制度にならった禅宗寺院の格式によれば、鎌倉5山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)の第3位。
本尊は釈迦如来座像。三代将軍実朝もしばしば訪れ、最盛期には十数カ所の塔頭を擁する大寺だったという。現在電話での問い合わせは受け付けておらず、御朱印もお休みとなっている。
参拝は参道から中門まで可能。仏殿背後に墓地があり、お参りは自由に行える。正子や実朝のほか、大佛次郎や元外相の陸奥宗光、歌人の高浜虚子も眠っている。
■茶亭に移動し朗読会
墓前で焼香の後、歩いて10分ほどの旧大佛次郎茶亭(鎌倉市雪ノ下)に移動した。この茶亭は鎌倉市指定の景観重要建築物。神奈川新聞によると、大佛はこの茶亭を書斎や文士仲間の交流の場などに使用し、庭には四季を彩る花々が咲き、大佛は毎年しだれ桜が咲くころには多くの友人を招いて宴を催していた。
建物は木造平屋で、床面積は約155平方メートル。敷地面積は約1000平方メートル。1919年(大正8)頃の建物とされる。
大佛の養女である野尻政子さんと息子芳英さんが所有していたが、維持管理が難しくなり売却。建物を保存し後世に残してくれる人を求めていたが、長く買い手は現れなかった。結局、一般社団法人大佛次郎文学保存会を立ち上げ、その法人が現在の所有者となったという。
継承されたのは2021年2月のこと。鎌倉市民の中でも大佛次郎が家族や十数匹の猫とともに暮らしていた本宅は2021年春に取り壊されたが、最終的に茶亭は取り壊しを免れ改修され、この4月に大規模修繕工事が竣工した。
大佛次郎研究会の手塚会長は「50年がたつのは早い。茶亭もこの時期を待っていたかのように改修された。大佛文学は忘れ去られるような存在ではないと思っている。天狗忌もその一つの場になればいい」とあいさつした(この項神奈川新聞)。
茶亭では朗読会も開かれ、研究会会員の原田静氏が『鞍馬天狗敗れず』の一部を朗読、同幹事の内海孝氏が解説を行った。朗読の間にも庭でウグイスが何度も鳴くなどとても市街地にいるとは思えない趣き。鞍馬天狗の時代にひとっ飛びしたような気分を味わった。
■凜とした空気感を残したい
所有者である一般社団法人大佛次郎文学保存会より建物管理と再生コンサルティングを受託している岡崎麗(おかざき・れい)氏(株式会社原窓代表)が公益財団法人かながわトラストみどり財団の機関誌「ミドリ」2023年春号(No.128)に「旧茶亭の保存とこれから」について書いている。
改修工事を始めたのは2021年2月。「建物は傾き、茅葺き屋根は痩せてみすぼらしく、ほとんどの建具は開閉しづらい状況」だったという。「ただ、そんな中にも経年によって生まれた美しさがあり、季節の装飾がされていたり、凜とした空気感を残していた様を見て、この建物が持つ空気をできるだけ残したい」と思ったという。
最初に行ったのは足元の補強。茶亭は石場建てという伝統工法の建物だが、「長年のうちに雨水や土が流れ込み、基礎となる石が土に埋まり、土台が直接土に触れることで腐食し建物自体が沈んでいる状態だった」。
それから歪みを治すため、時間をかけて建物全体を立て起こした。時には庭の桜の太い幹を支えに、ワイヤーを掛け、大工10名で建物をひっぱったこともあるようだ。1本ずつ土台と柱の修復を2カ月くらいもかけて行った。
■屋根のてっぺんで花が咲く
建物の足腰が強くなった段階で、外周に大きな足場を組み、屋根の葺き替えが始まる。このあたりの作業は私の実家(兵庫県丹波市)で昔吹き替えた記憶とも重なっている。いまは稲わら葺き(茅がなくて稲わらで代用した)の建物の上からすっぽりトタンを被せている。
仕上げに屋根のてっぺんに棟を作る。棟は地方によって方法が異なり、茅を葺いて竹で押さえたり、杉皮で覆ったり、瓦を乗せたりするが、茶亭の場合、「芝棟という、文字通り植物の芝を敷くやり方を選んだ」という。
棟を平らに整えて麻布を敷き、土を敷き詰めた中にイチハツの球根を植え、芝生を貼って縄で固定したという。植えたイチハツはアヤメ科の仲間でも早咲きの種類。毎日少しずつ水をやり、芝と球根が根付き、春には屋根の上に花が咲く予定だという。
下からは確認できないが、どうやらイチハツの目が出ているようだ。上に向かって真っ直ぐに伸びている。そのうち花が咲くのだろうか。
岡崎氏は、「われわれが取り組んできたのは別人のように生まれ変わる古民家再生ではなく、極力変わらないような改修。広縁の床板や建具の一部は、解体数日前の本宅から引き取ったものを使わせていただいた。いずれも今となっては手に入らない素材だ」と語っている。