【試写会】東アジア最高峰の西洋美術の殿堂に密着したドキュメンタリー映画作品『わたしたちの国立西洋美術館』

「わたしたちの国立西洋美術館」(パンフレット)

 

作品名:「わたしたちの国立西洋美術館」
監督:大墻(おおがき)敦・桜美林大学教授(2019年までNHKディレクター・プロデューサー)
2023年6月16日@日本記者クラブ
日本/105分/ドキュメンタリー
2023年7月15日からシアターイメージ・フォーラムほか全国順次ロードショー

 

■スタッフに密着したドキュメンタリー

 

東京・上野の国立西洋美術館は20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエが設計し、2016年に世界文化遺産に登録された東アジア最高峰の西洋美術の殿堂。

本作はこの西洋美術館の舞台裏で所蔵品の保存修復やコレクションの調査研究、展示の企画など美術を守り伝えることに奮闘するスタッフに密着したドキュメンタリーだ。

関係者だけでなく、識者やジャーナリストへのインタビューを交え、日本の文化行政や企画展を共催する新聞・テレビといったメディアとの関係など、美術館を取り巻く課題を浮き彫りにした。

撮影は大規模改修のために休館していた2020年10月から1年半にわたって行われた。パンフレットの上部には「裏を知るほど、面白い」とキャプションが書かれており、日頃一般人がなかなか関心を持ちにくい美術館の裏側についてカメラが入っている。

 

■松方コレクションを核に1959年開館

 

国立西洋美術館は1916~18年、川崎造船所(現川崎重工業)初代社長の松方幸次郎(1865~1950)がヨーロッパ出張の際に美術品を収集し、個人の楽しみのためではなく、日本の国民と国家の発展を目指した「共楽美術館」と名付けた美術館の建設を構想したのに端を発する。

松方は第4代、および第6代の総理大臣・松方正義の3男。造船で成した財を元に私財で西洋美術の作品の収集を始めたのがきっかけ。世に言う松方コレクションである。

松方コレクションは絵画や彫刻など約3000点を超える西洋美術の作品。美術を通じて西洋の精神を知ることで西洋の産業の発展を理解することにもつながるとも考えていた。

松方は1921~22年、2度目の美術品を収集。パリ郊外にあるクロード・モネの自宅を訪れ、直接作品を購入している。1924年、輸入品に100%の税金がかかる関税法が実施され、松方はパリとロンドンにコレクションを残す。

1928年には関東大震災を起こった。昭和金融恐慌により川崎造船所の経営が悪化。松方は責任を取って社長を辞任し、苦境に陥った会社を支えるために私財のコレクションを提供する。

1939年にはロンドンの倉庫に残した約950点のコレクションが焼失する。第2次世界大戦時にはフランス政府が約400点の松方コレクションをロダン美術館に差し押さえていたが、吉田茂首相(当時)は1951年に仏政府に返還を要請。仏政府は美術館建設などを条件に寄贈返還要請に応じた。

1955年にはフランスの建築家ル・コルビュジエが美術館設計のために来日。1959年6月10日、国立西洋美術館として開館した。初年度は松方コレクションの常設展示だけで58万人もの入場者を集める。翌年2年目からは企画展も開催した。

 

同上

 

■展覧会は日本独自

 

撮影は全館休館となった2020年10月の「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」の最終日に始まり、2022年6月に開催した「国立西洋美術館リニューアルオープン記念 自然と人のダイアローグ展」まで1年半続いた。

工事に伴う絵画の移動作業、保存修復の様子、購入作品のチェック、松方コレクションに関する様々な資料収集、巡回展のために貸し出す作品の梱包作業、展覧会場の飾り付けなどが映像として収められているが、いずれの作業も静寂と緊張感が満ちている。

製作・監督・撮影・録音・編集を担当した大墻氏は「学芸員や研究者、美術輸送の担当者、展覧会を主催するメディア企業の方々が美術作品と真摯に向き合う姿にいつも感動していた」と話す。

また「前庭に設置された彫刻家オーギュスト・ロダンの作品『考える人』『カレーの市民』、ブルーデルの作品『弓を引くヘラクレス』を移動するシーンでは、念入りなチェック後クレーンによって宙高く浮かんだ彫刻たちが安全に運ばれる手際の見事さに感嘆した」とも述べている。

学芸会議での白熱した議論、購入委員会での厳密な審査過程、常設展のリニューアルや企画展の打ち合わせなども撮影されている。

内部だけでなく、展覧会の成り立ちや歴史的経緯を伝えることの重要性も踏まえて、美術フリーライターの陶山伊知郎氏、フランス在住の展覧会プロデューサー・今津京子氏のインタビューも盛り込まれている。特別展の歴史、美術館とメディア企業の関係、欧米の美術館と日本の美術館の違いについても考えを聞いている。

 

国立西洋美術館の田中正之館長

 

■重要な「文化の交流」

 

田中館長は試写会後の会見で、2001年に独立行政法人に移管・運営されている国立西洋美術館の意義について、「文化の交流」の重要性に触れた。ただ「単に西洋の芸術を日本に紹介するだけではなく、文化の影響は相互的なものでもある」と指摘した。

さらに「文化の相互交流はキャッチボールをしながらダイナミックに変わっていき、新たな文化が生まれていく。発展していくものなのだと思う」と語っている。

田中館長は「そのようなダイナミズムの場、文化が発展・展開していくための場となることが国立西洋美術館が担う重要な役割であると考えている」としている。

本作品では美術館の華やかな表面の顔である展覧会ではなく、調査研究、保存修復など主に研究職系の地道な作業の現場が取り上げられている。田中氏は、「フランスのように学芸課以外の部署をどれだけ充実いていけるかが日本の美術館が抱えている課題でもあると語った。

 

■専門職スタッフが必要に

 

かつては美術館は美術史の研究者であるキュレーター(学芸員)と会計・人事・給与などの事務系職員がいれば形になっていたが、グローバルには現代の美術館は広報や渉外、ファンドレイジング、プロジェクトマネジャー、レジストラ(ドメイン情報を持つデータベースを管理する機関)などの専門職が必要になってきている。

田中館長は、「欧米の美術館がミュージアムのあり方を確実にアップデートしてきたのに対し、日本はこれから頑張らないといけない状況にある」と指摘した。

職員の数を比較すると、日本の国立美術館全体(令和2年度事業報告書)の常勤職員だけだと117名。ルーブル美術館は約2200人、オルセー美術館500人以上のスタッフがいる。韓国の国立美術館(4館)600名以上のスタッフがいると聞いている。

国立西洋美術館は今年3月、川崎重工業とオフィシャル・パートナーシップ契約を結んだ。資金面での支援だけでなく、美術館の活動をより豊かにしていくことで合意した。

田中館長は、今日の美術館活動の重要なキーワードとしてウェルビーイング(精神的、物質的、社会的に幸福であること)とインクルーシブ(誰でも自由に来られる美術館になること)の2つを挙げ、これらを国民に提供できる場として美術館活動をより活発化したいと述べた。芸術が世界にとって必要なものであることの理解を実感を持てるようにしたい考え。

 

■岐路にはあるが、危機ではなく好機と捉えたい

 

作品の中で馬渕明子前国立西洋美術館長が「美術館は現在岐路にある」と強調されていたが、田中館長は「美術館はウェルビーイングやインクルーシブの新たな体制を整備していかなかればならない」ことを指摘した。

さらに「様々な専門職のスタッフを揃える組織体制も整備しなければならない」点も挙げ、そういった体制を作らなければならないことなどもあり、岐路に立っていると言えると語った。

田中館長はメディアと共催する展覧会を取り巻く状況についても近年大きく変わっていることも、従来のレベルが続くわけではないと認識すべしと語った。

展覧会の資金を新聞社やテレビ局が負担するのはコロナ禍やウクライナ戦争で輸送費が高騰。自己収入源だった既存の大型展をこれまでと同程度の頻度でこれからも行うことは困難になっていると指摘。寄付金や協賛金などのファンドレイジングが重要性になってくると強調した。

西洋美術館内に今年度に新たに経営企画、広報渉外室を設置した。

田中館長は、ただ岐路を危機、ピンチと考えるのではなく、むしろ美術館、展覧会のあり方を変えていくための絶好の機会、チャンスだと捉えて、新たな地平を開いていきたいと語った。

 

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