高砂観光

 おめでたい謡(うたい)として、昔は結婚式でよく歌われた謡曲「高砂」。室町時代に能を完成させ、謡曲の神様とも言われる世阿弥元清の作品だ。京の都に上る途中、高砂の浦に立ち寄った阿蘇の神主友成が相生の松の精である老人夫婦と邂逅。夫婦愛、長寿の理想を謡った。

 先週末、所要でこの高砂を訪れた。加古川と姫路に挟まれた小さな街で、銀座商店街も”シャッター商店街化”し、寂れた街との印象は否めない。下村商店の焼きあなごの”製造現場”は風情があったが、風情ではメシは食えない。

 街を歩いていると、「猟師町」にぶつかった。猟師(漁師)が集住したことが町名の由来とか。「かつて、高砂周辺は御厨庄(みくりやのしょう)と呼ばれ、供物として朝廷に魚介類を納めていた。このことから高砂の沿岸部は古くからの漁村であったことがわかる」(掲示板)。他にも船頭町、釣船町、魚町もあって楽しい。

 初めての街を歩くのは確かに楽しいが、よそ者だからのこと。土地に住む人たちにとっては問題があって当然。これまた、たまたま通り掛かった高砂漁業協同組合に入り込み、組合長氏と話をしてみると、輸入魚増大による魚価の下落、後継者難は深刻な問題だ。

 もちろん、単なる猟師町ではなく、今は三菱製紙や武田薬品、鐘渕化学などの工場もあり、工業都市の一面も持つ。特に、武田や鐘化は創業期からの進出企業と聞いた。高砂神社に御参りし、料亭「かき幸」(どういうわけか、広島のかき)であなご重をいただいた。どうも、仕事というよりも、観光色濃厚な高砂行だった。

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