『夜にその名を呼べば』

 佐々木譲と言えば、今や横山秀夫と並ぶ警察小説の雄だが、昔はもっとロマンティシズム漂うサスペンス物を書いていた。1992年に発表されたこの『夜にその名を呼べば』(早川書房)はその色合いを濃く反映した作品だ。つまり、甘く、切なく、ウエット極まりないのだ。それがまた、たまらなくいいのである。

 「1986年10月、ベルリン。欧亜交易現地駐在員の神崎は何者かに襲撃された。親会社の共産圏への不正輸出が発覚、証拠隠滅を図る上層部の指令で命を狙われたのだ。殺人の濡れ衣まで着せられた神崎は壁を越えて東側へと亡命、そのまま消息を絶つ。それから5年。事件の関係者に謎の手紙が届けられ、神崎を追う公安警察もその情報を掴む。全員が雨の小樽へと招き寄せられたとき、ついに凄絶な復讐劇の幕が切って落とされた!」(裏表紙あらすじ)

 舞台となるのがベルリン-東京-小樽と暗く、しかし甘い。書名からして、とても甘酸っぱい。歴史は回って、今やベルリンの壁はなく、その壁を前提とした小説自体が成り立たない時代を迎えている。今の時代から読めば、非常に懐かしさが立ち上ってくる。

 私が西ベルリンのチェックポイントチャーリーからおそるおそる東ベルリンに入ったのは1989年だった。東ベルリンのカフェで西ベルリンを眺めながらお茶を飲んだことを思い出す。今となっては甘美な思い出だ。それを思い出させてくれるこの作品の甘美さは一段と増してもおかしくない。

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