脳は衰えない(1)

 「脳はいくつになっても衰えることがない。人間は死ぬまでずっと、頭を良くし続けることができる」と作家で生き方健康学者の佐藤富雄氏が『50歳からの勉強法』(海竜社、2008年1月)で書いていた。60代、70代になっても、脳はどんどん発達すると聞いて、にわかに将来に明るさが開けてきたような気分だ。 老人は年を取るとともに、物忘れが激しくなり、頭の回転が鈍くなる。年を取って脳細胞の数も減ってしまっているのだから、如何ともしがたい。そう思っていた。前日に何を食べたのか、過日会った人にどういう内容のことを話したのかなどを具体的に思い出せないのだ。会ったり、話したことは覚えていても、内容を確信できない。

手帳を取り出して、そのときのメモを見て確かめなければならない。メモを見て初めて、そのときの状況や内容を確認できる。若いころはそうではなかった。1時間程度のインタビューなら、メモなしでも後で再録できたし、それが自慢でもあり、自信でもあった。今はメモもなければ、頭の中は真っ白だ。

英単語を覚えようとしても、全く覚えられないし、人の名前もすぐ忘れる。これもすべて脳細胞の死滅によるもので、あとは死を待つばかりと思い込んでいた。それが脳科学の進歩なのかどうか知らないが、「脳は老化しない」ことが科学的に裏づけられたというのだから、驚きである。同時に、喜びでもある。

これは大切なことなので、しっかり理解しておく必要があると思って買ったのが『海馬』(池谷裕二・糸井重里、新潮文庫)。脳科学者の池谷氏とコピーライターの糸井氏の対談集。「もの忘れがひどいというのは誤解。年を取ったからもの忘れをするというのは科学的には間違いなんです」と池谷氏は指摘する。

「物忘れやド忘れが増えると思えるのは、こどもの頃に比べて大人はたくさんの知識を頭の中に詰めているから、そのたくさんの中から知識を選び出すのに時間がかかる。生きてきた上で、たくさんの知識を蓄えたわけだから、これはもう仕方のないこと。ド忘れしている最中でも、正解をちゃんと知っている。忘れてしまった情報が消えてしまったわけではない」。

記憶という点で、脳の中でも最も重要な部位が「海馬」(かいば)。タツノオトシゴに似た器官で、直径1cm、長さ5cmくらいの小さな器官。側頭葉の内側に左右1対ずつ存在する。ちなみに、隣り合っているのが好き嫌いを扱う「扁桃体」(へんとうたい)。かなりの情報交換をしており、「好きなことならよく覚えている」のはこのためだとか。

脳全体の神経細胞は1000億個ぐらい。そのうち記憶を司る海馬の神経細胞は1000万個。ものすごくよく働く少数精鋭の、選りすぐりの細胞集団。池谷氏によると、「海馬は記憶の製造工場」だという。

脳に入ってくるものすごい量の情報は一度、海馬に送り込まれる。情報はそのまま海馬の中に蓄えられるのではなく、海馬が必要と判断した情報だけが、他の部分(本書にはどこなのか書かれていないが、別書によれば側頭葉)に蓄えられる。海馬は情報の要・不要を判断する。ほとんどの情報は捨てられる。

情報が整理されないまま、脳が受けている情報をすべて記憶してしまうなら、数分で容量一杯になってしまう。人間はそのぐらい、たくさんの情報にさらされている。海馬がこれは「役に立つ情報」で、これは「役に立たないから忘れていい情報」だとか、仕分けをしてフラグ(目印になる旗)を立てる。海馬の役割は情報の「ふるい」だ。

海馬が情報選択の基準としているのは生存のために必要かどうか。生存に必要なものを記憶する。記憶させるためには生存に必要な情報であるかのように海馬をだます必要があるという。情報の関所である海馬をだまして、いかに通っていくかが大事。扁桃体をうまく使って、好きなものであると思わせられれば、憶えやすいという。(続く)

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