梅田望夫『ウェブ時代5つの定理』

 組織の第一線を退き、「無所属」(実際は雇用継続で嘱託勤務を続けているので、完全な無所属ではないものの、第一線にいるときとは立場も気分も全く異なり、組織への帰属感は極めて乏しい)に近い立場になってみると、それまで、いかに自分が組織に依存した存在だったかがよく分かる。

 日本人は、社会に対して、個としての自分を明確に提示していく習慣があまりない。「自分が何者か」よりも、「自分の所属はどこであるか」に重きが置かれてきたからだ。ビジネスにおいても、個の魅力や実力での勝負より、組織の看板で仕事をする傾向が全体的に強く、終身雇用制度がそれに拍車をかけてきた。

 これに対して、アメリカは、個としての自分を明確に提示していくことを厳しく求められる社会。西海岸のシリコンバレーに住む著者は、「アメリカに来て最初に実感したのは、どこに行っても常に『お前は何者だ』と問われることだった。お前は何をやっている人間で、どんな実績があり、これから何をしようとしているのかと問われた」という。

 何もアメリカに「倣え右する」必要はないにしても、もはや日本だけでは生きていくことができない以上、世界を視野に入れてサバイバルしていくのならば、世界の流儀を踏まえ、個の実力を前面に出すことを求められていくのは必然の流れだ。

 ウェブの世界でも、「自分は何者で、どういう姿勢で発言するのか」というパブリックな場での自己表現、身の処し方に意識的にならなければならない、と梅田望夫は指摘する。「ウェブ上でのネットワークが生きたものになるかどうかは、それを使う社会における個人の成熟度にかかっている」と強調する。

 梅田氏が懸念するのはネットの世界での匿名性の問題だ。「匿名性というカルチャーが、日本語圏ネット空間の革新や成熟性を阻んでいる側面が多々あるのではないか、と危機感を覚えるようになってきた」と危惧する。日本のネット空間では、「2ちゃんねる」に代表されるような、匿名で何かを言いっぱなしにする、誰かを攻撃する、といった傾向が強くあるからだ。

 「2ちゃんねる」のような完全なる匿名文化の巨大掲示板は英語圏にはないという。しかも、日本ではその文化がネット空間全体を覆いつつあることに危惧を抱くと梅田氏は言う。自分の存在を名乗らずに、自分だけは安全な場所にいて、他人を攻撃する。これは実に卑怯だ。

 「匿名性の方向に偏った日本語圏ネット空間に特有な文化が、ネットの持つ豊饒な可能性を限定し、さまざまな良きものが英語圏ネット空間では開花しても、日本語圏では開花しないのではないかと、最近ではそんな危惧を強く抱く」と梅田氏は懸念している。

 この本を読みながら、このブログもそろそろ匿名性を脱却する必要があるな、と感じている。組織に所属している限り、組織での立場があり、それを離れての個人というのは日本では存立しにくいのが実情だ。組織とのつながりが半分以上消えたことで、そろそろ、個人を主張すべきときが来ているのだろう。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.

読書

Previous article

『小説河井継之助』