安土城

①安土城(安土町立城郭資料館資料)

 5層7階(地上6階地下1階)、高さ33mの日本初の木造高層建築。織田信長が天正4年(1576)1月、重臣の丹羽長秀を総普請奉行に据え、標高199mの安土山に築城させた平山城。岐阜城より京に近い利便性があり、北陸・東海の要所でもあった。
 天正7年(1579)5月に完成。わが国で初めて天守閣(天主閣)を持つ。しかし、完成から3年目の天正10年(1582)6月15日、天守などを焼失、一夜のうちに落城した。城の主・信長が京都・本能寺で自刃した6月2日未明から13日後だった。
 焼失の原因は織田信雄が誤って焼き払ったという説や、敗走する明智光秀軍による放火という説などが有名である。

②安土城跡大手道


 石段の数405段。高低差はさほどでもないが、1つ1つの石段の間隔が結構広い。天守跡まで20分ほどだが、カンカン照りの石段登りは辛かった。

③天守跡


 東西南北各約28mの台地。天守の穴倉(地階の部分)にあたり、その上に5層7階(地上6階地下1階)の天守がそびえていた。

④山の山腹に立つ三重塔


 室町時代の建物。天正3~4年に信長が甲賀の長寿寺(甲賀市石部町)から移建したものとされている。重要文化財。

 安土城は歴史によく出てくるものの、どういうものかについてははっきりしたイメージがなかった。完成してたった3年で焼失したせいもある。しかし、最近は研究が進み、いろんなことが分かってきた。城郭資料館、安土城跡、安土城天主・信長の館、滋賀県立安土城考古博物館などを見て歩くうちに、全容が掴めてきた。歴史は足で固める必要があるようだ。

 

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