尖閣諸島問題


田原総一朗氏と細野豪志民主党議員(BS朝日「激論!クロスファイア」)

 中国には2度行った。1994年11月と10年後の2004年5月。北京と上海、大連と上海で各1週間ずつ滞在した。最初は記者仲間3人で、プライベートな「金融事情調査団」を組織し、北京と上海の金融機関のトップにインタビューした。酒席の話が実現した非公式な取材旅行のつもりだったが、実態的には中国新聞協会の通訳も付いた公式なものだった。

 2度目は中国商品市場の実情をこの目で見る実態把握調査だった。諸費用は会社持ちだったが、日程設定からアポ取り、取材まですべて自分でこなす手作り旅行だった。大連商品取引所と上海期貨交易所のアポをセットするためにGWをすべて出社し大変な思いをした。取材旅行の成否は事前のアポ取りで決まるから仕方ない。

 苦労はしたものの、取材が実現したのは嬉しいものだ。もう一度やれと言われれば勘弁してもらいたいが、終わってしまえば、大変だったことは忘れ、残るのは楽しい思い出だけ。ロンドン時代に家族ぐるみで付き合った中国人ファミリーとの思い出などもあって中国人への親近感は自分なりにしっかりしていたつもりだ。

 ところが、今回の尖閣諸島沖事件は生ぬるい親近感を根底から崩した。中国人民はともかく、中国という国の本性を思い知らされた思いだ。何も考えずに歩いているところを、突然、理由も分からないまま頭をガーンと殴られた感じだ。無防備な日本も軽率かもしれないが、自分のルールをいきなり押しつけてくる中国の対応は解せない。

 朝日新聞主筆の船橋洋一氏がコラムで、米公共ラジオ放送の日本特派員から「日本にとって尖閣ショックはニクソン・ショック以上か」と聞かれ、「それよりもはるかに大きい」と答えたことを紹介している(10月6日付オピニオン「日本@世界」)。その通りだ。

 今回の事件で、私自身もそうであるように、中国に対する日本人の印象はガラッと変わった。嫌中感情が一挙に強まった。根底にあった嫌悪感に火が点いた格好だ。中国政府は国内世論を意識し、対日強硬姿勢に出たと解説されているが、日本の国民世論はどう考えたのか。菅民主党政府の弱腰姿勢を見込んだ上での強硬策だとしても、日本国民を怒らせては何にもならないはずだ。

 「尖閣諸島は沖縄県石垣市に属し、中国、台湾も領有権を主張する。日本政府が1885年以降、重ねて現地を調査した結果、無人島であり清朝の支配下にもないと確認。1895年の閣議決定で正式に編入した。

1951年のサンフランシスコ平和条約で沖縄の一部として米国の施政下に入ったが、沖縄返還協定に基づき、72年に日本に返還された。

中国と台湾が領有権を明確に主張し始めたのは、国連調査で周辺海域に石油が存在する可能性が指摘された後の70年以降だ。中国は92年、尖閣諸島を自国領と明記した領海法を制定。周辺で海洋調査船などによる調査を実施している」(2010年9月25日付日経朝刊)

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