丹波の静寂

 京阪電車と大阪環状線を乗り継いだJR大阪駅で福知山線に乗り換えた。向かったのはゴールデンウィークに帰れなかった郷里の丹波。1時間半ほどで着いた。午後7時を回ると流石に外は真っ暗。節電が作り出した偽物の暗さではなく、本物の漆喰の闇が辺りを支配していた。

 聞こえるのは蛙の合唱だ。駅から乗ったタクシーの運転手氏によると、GW中に大体のところ田植えは終わったという。水が一杯に張られた水田からはどこからやってきたのか、蛙がわが世の春を謳歌している。この季節にだけ聞くことのできる風物詩だ。

 しかし窓をしっかり閉めると、その蛙の音もかなり低くなる。今度は家の中がしずか過ぎて、いつも”騒音状態”の中にいる都会人としては逆に落ち着かない。鞄に入れていたアイポッドタッチを出して、音楽を聞く。これなら、独りでも怖くない。

 大阪の友とはとわの別れをしてきたつもりだったが、丹波にも彼が付いてきた。この家にも彼が来たことを思い出した。神戸勤務時代に京都で待ち合わせ、私の車で彼と茅葺の里・美山町までドライブしたのだ。京都・美山町から、山を隔てた兵庫丹波のわが家に一泊した。

 何を話したかは全く思い出せない。しかし彼とはあちこちに、2人で、ときには3人、4人で小旅行をした。いろんな土地を旅し、さまざまな風景を眺めた。その思い出は消えない。心の中に、いつまでも、いつまでも生き続ける。そして何かの折に、その思い出が突然甦ってくるのだ。

 不意を突かれると、胸が熱くなるのだ。そうした感情はどういうメカニズムで発生するのか分からない。人間であるがゆえの高度な感情の神秘に今はなすがままに浸るばかりだ。

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