自分の売り込み

男は昨年あたりから、「どうしたら自分をうまく売り込むことができるか」について、かなり真剣に考えている。昭和23年生まれの男は今年7月で64歳になり、サラリーマンとして長年加入してきた厚生年金の満額支給年齢に到達する。と同時に、長年勤めてきた職場とおさらばする「雇い止め」になるからだ。これからも働き続けるためには自分を売り込まなければならない。そこが悩みだ。

これまでの雇用は保証され、仕事をすることは当然の権利と振る舞ってきたが、いよいよその保障期間が期限切れになるのだ。これまで会社に身を任せ、特に自分を売り込まなくても、嫌でも仕事のほうからやってきたし、仕事がないということは一度もなく(仕事がなくても、自分で仕事をつくる性格も関係しているかもしれないものの)、いつも仕事に追い掛けられているのが常態だった。男はそんなもんだと思っていた。というか、それ以外の状態に身を置いたことがないのだ。

契約社員やパートタイマー、アルバイト職員などからみれば、何を今さら、世間知らずのことと思うだろうが、高度成長時代にサラリーマン生活を送ってきた正社員にとってはそれが普通だった。団塊の世代の一員として男もその恩恵を受けてきた事実は否定できない。

1990年代以降、日本経済がデフレに陥ってからは状況が一変し、雇い止めを含め雇用情勢が悪化。最近の雇用事情は氷河期ともいわれ、碌な就職活動もしないまま、適当な会社に潜り込むことのできた男の時代とは様変わりだ。今のような就職難の時代に生まれていたら、とても今の学生諸君と肩を並べて就職活動をできるとは思えない。平和で夢見がちな時代だった。

えらそうなことを言っても、男はそんな平和な時代しか知らない。自分を売り込むことをしなくても、仕事のほうが向こうからやってきた。ただ待っていれば良かった。今から思えば、社外の仕事でも、恐らく自分が背負っている会社の看板が引き寄せたものもあったはずだ。会社あっての市場価値だった。

しかし、時代は激変した。社員の身分は定年で返上し、年金改革の都合でできた契約社員としての継続雇用もまもなく打ち止めとなる。64歳以降も働き続けたい意欲はあるし、働き続けなければならない事情もあるのだが、それを実現するためにはもう会社の看板や雇用保障は当てにできない。

男はここへきて、自分を自分で売り込まなければならない現実に直面した。今まで、それをしなくて済んだというのも呑気な話だが、自分を売り込むことを潔しとしなかったのも確かだ。謙譲の美徳なのかどうか知らないが、恐らくサラリーマンとしては欠点だったのだろう。長年、宮仕えをしてきた身にそれが自然と備わっていないことのほうが不思議かもしれない。不器用な性格も影響している。

プライドが邪魔をして「自分の売り込み」ができないのかもしれない。そういう性格だから、「自分を売り込む」ことに反抗的になっているような気が男にはしている。うまく説明できないが、恐らくそうだろう。

男は、ある夕刊紙に載っていた記事を切り抜いて、何度も何度も読み返している。繰り返し読みながら、「自分を売り込む」ことの正当性を自分に言い聞かせているのだ。納得させているのだ。こんなものはサラリーマンのゴマすりと同じで、さらりと自然体でこなせる人もたくさんいる。しかし、それが、どうにもできない不器用な人も確実にいる、というのも事実だ。

「いくら実力があっても、他人があなたを知らなければ、その実力は存在しないも同然だ。実力を人に示すには売り込みが大切。というより、むしろビジネスの現場では実力と同じだけ売り込み能力が求められる。実際、成功者の8割が売り込み上手の人だ。ベテランのビジネスマンなら、そのことは肌身で感じているだろう」

「ただでさえ、こんな時代だ。勇気を出して積極的に自分を売り込むべきだ。ただし、必要以上に格好をつけてはいけない。大企業でそれなりの肩書を得た人たちの再就職が難しいのも、プライドが邪魔をして自分の売り込みができないからだ。実はそういう人に限って、自分を売り込むことに反抗的なのだ」

「豊かな人生を送りたいなら対策はただ一つ。遠慮せずに自分を売り込むことだ。奥ゆかしい日本人はこれが苦手だが、自分の才能(誰にでも必ずある)を知らしめるのは、世の中の役に立つことでもあると考えて一歩踏み出そう」(旅行作家・長崎快宏、夕刊フジ2011年5月27日付)

「自分を売り込むことが世の中の役に立つ」という個所が自分を説得するポイントだ。ただ頭では分かっても、体が反応しない。知識やノウハウが自然と体に身に付くまでにはものすごい時間が掛かる。自分の性格や気質、性分、個性としっかりフィットしないと、自分のものにならない。

それを自分のものにするために思案し、自分と格闘しなければならない。何とも融通の効かない不器用な性格だ、と男は自分のことを考える。されど、これが自分である以上、どうしようもないのだとも思うのだった。

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