「小布施町30年の軌跡」

「響夜学」講座のパンフレットから

「響夜学」講座のパンフレットから

 

「文化資源の愉しみ方」連続プログラムシリーズ第1弾「経営と文化のいい関係を考える」の第2回「小布施町30年の軌跡」講座を千代田区立日比谷図書文化館で受講した。講師は長野県小布施町(おぶせまち)で古くから酒造業、菓子業を営んでいる小布施堂の主人、市村次夫氏。

信州・小布施にはまだ行ったことがない。2年前、奥志賀の志賀山に登った際、長野電鉄の途中にあった。同行した友人から、「ゆっくり観光すると楽しい町だよ」とは聞いていたが、下りる時間はなかった。

県内でも面積最小の町で、人口1万2000人。その小布施町も40年前は観光客ゼロの町だった。それが今では年間120万人が訪れる大観光地になっているという。何がそれを可能にしたのか。市村氏は講座でその話をした。

同氏によると、それを可能にしたのは①葛飾北斎②栗と栗菓子③町並み修景-の3つだという。天保13年(1842)に北斎が初めて同地を来訪し、岩松院に天井画を描いた。江戸時代末期に栗菓子を作りだした。町並みを修景し、「気持ちのよい空間」を作りだした。

この3点セットは極めて有力な観光資源だ。多くの観光客を引き付け、町に元気が出てくると、いろんなイベントが行われるようになり、それが相乗効果をもたらし、町は一段と活気づいてくる。

小布施町活性化の中心となって働いているのが市村氏。一族は江戸時代から小布施で、商社/塩問屋/茶問屋/菜種油/薬屋/酒造業などを多角的に営んでおり、宝暦5年(1755)年に升一市村酒造場を創業した。

栗菓子の製造を始めたのは明治30年代(1897-1906)で、その基盤となったのは升一市村酒造場が導入した缶詰め技術と工場制生産方式だったという。栗菓子製造販売の「株式会社小布施堂」設立は大正12年(1923)。現在の小布施堂のルーツは升一市村酒造場にある。

北斎を小布施に招いたのが市村家第12代の市村三九郎氏(高井鴻山)だった。市村次夫氏が何代目かは聞き忘れたが、企業も事業も結局は人だ。雪が多そうだが、小布施にすぐにでも行ってみたくなった。

 

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