『人間の不思議』

『人間の不思議』について軽妙に語る村松友視氏

「人間という存在を”不思議”のアングルで覗けば、奇妙奇天烈な生き物」と村松友視氏

 

テーマ:『人間の不思議』
講師:村松友視氏(むらまつ・ともみ、作家、1940年4月10日~)
日比谷図書文化館開館3周年記念講演会
2014年11月3日@地下1階日比谷コンベンションホール

日比谷図書文化館のHPを見ていたら、開館3周年記念講演会の案内があったので、ついふらふらと申し込んだ。本当は静岡県立美術館のロダン展に行きたかったが、病み上がりでもあり、日比谷で我慢した。

名前は知っていたが、この作家の作品を読んだことがない。講演を聴き終えたあとも、読もうという気は起こらなかった。人間観察のアングルが面白く、なるほどとうなづく点も少なくないが、それ以上のものではない。世界観が合わない。

父は中央公論社の編集者、母も同社勤務。祖父は作家の村松梢風。本人も中公に19年勤務した編集者だった。東京生まれ。父の死後、祖父の子として入籍されるが、梢風は鎌倉で愛人と暮らしており、友視は静岡県清水市(現静岡市清水区)で祖母1人に育てられた。

この育ちが彼の個性を決定づけたようだ。「人生の大事をど真ん中で受け取らない子どもとして育って、それが物事の中心から逸れた周辺的なこと、生産性のないところに意識が行ってしまう自分のひな形になっていった。これが私という人間だ」と自己紹介した。

しかし、「そのことで、ものを見るアングルができた。人間は不思議な存在であるというふうに思うアングルができた。人間という存在を”不思議”のアングルで覗けば、奇妙奇天烈な生き物であることが炙り出されてくる」と語る。

講演の中で松村氏は旅の効用について、「世界を非日常にするほか、エネルギーを倍加する。『不思議』を感じる」と話した。「旅はおもしろ・おかしいだけ以外のものを与えてくれる」と指摘し、「人は他人や世間にA面を出しているが、実はB面のほうが面白いのではないか」と語ったのが面白かった。

「自分にとって見上げるような見事な老人が昔はいたが、最近は、歳を重ねていることが姿・形に結晶している老人を見掛けない。歳をとると、必ずしも『老人』になれるかというと、必ずしもそうではない。昔は戦争や極度の貧困などの試練があったが、この頃の人生はどちらかというと平板。苦労を積み重ねて年輪のような層を重ねることは難しいのではないか」とも話す。

「一番分かりにくいのが老人の醸し出すユーモア。自分の立場に距離を置いて、ユーモアというコーティングをまぶして話す」話術があるという。

昔、100歳すぎても元気で、「理想の老後像」として国民的アイドルになった双子姉妹「きんさんぎんさん」(成田きん、蟹江ぎん)がTV番組でもらった賞金の使い道を聞かれ、「半分は孫にやり、残りは貯金します」と答えたのは、見事なユーモアだった。こんな老人にはなかなかなれそうもない。

 

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