「平成」を考える
わが家の小さな庭を愛でてから、最寄り駅まで手にスマホを持って歩いた。5年ほど歩けなかったが、狭窄症の手術を受けたおかげだ。
歩いて見ると、春の花が目に飛び込んでくる。名前を知っている花もあれば、知らない花も少なくない。こうして歩くだけでも生きている喜びを感じる。
平成もまもなく終わる。国際問題を扱う仕事のせいか、西暦中心の生活だった。昭和や平成などと日本国内でしか使わない元号はほとんど使用しなかった。皇室のためだけにあるようなものだ。
しかも、日本はこれから国外で稼ぐことが必要だ。令和という新時代が世界に日本の独自性をアピールできれば、それはそれなりに意義がある。そうなるようにしなければならない。
平成の時代に直面した最大の試練は人口減少社会の到来だった。しかし、政策は後手に回り、ウロキョロするばかりで、結局対策は何も取られなかった。人口が減少し始めた現実に改めて脅えている。何でも「人口減少化」の責任にすればよいものではない。
財政健全化への取り組みや消費増税も対策が遅れた。政治は増税の先の将来ビジョンを示せない。社会保障制度改革も遅れ、医療や介護、年金などの歳出膨張に歯止めが掛かっていない。
一方で、首都圏直下地震や南海トラフ地震も心配だ。阪神淡路大震災や東日本大震災、熊本地震なども実際に起きた。水害も多かった。
31年間続いた平成。昭和のような戦争を経験せずにすんだ。平和だった。政治や経済の行き詰まりが目立った半面、文化面では実り豊かだった。
1994年に大江健三郎がノーベル文学賞を受賞し、2000年以降は化学賞、物理学賞、生理学・医学賞で日本人の受賞ラッシュが続いた。クールジャパンも評価は高い。
平成が終わり、令和の時代が始まる。多くの課題を抱えつつも、いま平和と繁栄を享受している。それを後生に伝えなければならない。新時代も生き続けなければならない。休むことは許されない。