幼稚園の運動会
孫の運動会を見学した。人の成長の著しさを目で見るのは楽しくもあり、感動を覚えることでもある。
子どもは自然と大きくなっているようで、決してそうではない。単に大きくなるだけなら、食事を与えておけばいいが、人間の子どもはそういう訳にはいかない。親が必死で育てなければならない。
毎週のようにわが家にやってくる孫たちを見ながら、子どもを育てることの大変さ、しんどさを痛感する。自分でも3人育てたはずだが、主戦力にはなれなかった。主力は妻であり、母親だ。
「魔の3歳児」といわれる。とにかく、何でも「嫌だ」と言う。育児的にも「嫌々期」と言う。強烈な自己主張をする。ことごとく、親の言うことに反対する。それをなだめすかし、脅しつつ育てるのは並みの神経ではとても無理だ。それも毎日だ。何年も続く。
幼稚園(あるいは保育所)に上がったらほっとだ。もちろん、それで手が掛からなくなるというわけではない。別の手が掛かる。人間の子どもというのは何と手間暇労力お金が掛かるものか。
その見返りの喜びもある。手は掛かるものの、時間とともにつぶさに成長を見ることができる喜びだ。昨日できなかったことが今日できるようになる。日々言葉がはっきり出てくるようになり、意思疎通が明確になる。こちらの言ったことに対する反応が明瞭になる。意思の伝達がスムースになる。
そうなってくると、今度は親の意思に対する反論も出てくる。それが成長の証でもあるが、それを説き伏せて、親の意向を押し通すのは厄介である。いずれにしても、一方的に楽だとか、大変だとかということはない。
親の大変さを横目で見ながら、楽なときだけ付き合って、大変になれば逃げる。自分の子どもの場合は逃げられない。それが孫の良さというものだ。